2018年1月17日水曜日

01/17 無職の重圧

こばわー。
へのみちです。

おいらは現在、正社員として働いていますが、3月31日には現在の職場を退職し、無職になる予定です。
自分で決めたこととは言え、この、無職、ニート、プータロー、自宅警備員等と呼ばれる状態には、ものすごい重圧があります。

他人が退職するとか、勤め人であれば誰でも迎える定年退職とか、とは心境が異なるものがありますね。

まずは、世間の目。
今の段階で、自分は既に無職なのだ、という心構えでは居りますが、何かの手続き等で、「無職」と用紙に記入したときの、周りの反応がある。

恐らく、自分の場合もそう思ってしまうだろうことは、他人が無職と聞くと、貧困、人間社会の順位付けでは最下層のあたり、可哀想なイメージ、優越感。こういった感情を抱いてしまうと思う。

まあ、自分が他人から、どう思われようが関係ない。
変に気を使われたり、バカにされるかもしれないが、それは良しとしよう。

一番の問題は、将来への不安。
無職=定収入が無い ということ。

人間は、生活をしていく上で、必ず、支出がある。
諸々の税金、衣食住、交際費等。

収入が無ければ、必ず、貯金を切り崩し、最終的には一文無しになるでしょう。

その不安。そして、46歳で、特に特殊な技能があるわけでもないおいらが、職にありつけるのか?という疑問。

こればかりは、努力してみないと分からない。

まずは、年度末まで、現在の仕事を責任を持って全うする。
4月には、引っ越し、実家の新宿に戻ってからの諸手続きをする(銀行口座の確認や転入届、荷物の整理等)。

それから求職活動かな?

死別反応を抱えた状態で、面接、周りの人との関係に耐えられるんだろうか。できれば、人となるべく接しない仕事が良いが。。

今後の人生など、どうなってもいいや、のたれ死んでも構わない、という気持ちもある。

全てをリセットして、新たな自分の人生を立て直す。
再婚、仕事、趣味、そういった幸せを追求する前向きな行動を取らねば、という自分が1人。

亡くなった妻の記憶に常にアクセスし、悲嘆に暮れ、思い出に生きる選択をし、今後の人生は、消化試合をこなすように、惰性で生きていくしかない、という諦めてしまっている自分が1人。

今の気持ちは、後者に近い。
結婚していなければ、離婚であれば、また違ったかもしれない。
前世の記憶を持ったまま生まれてきた人がいたら、こういう心境なのだろう。

人生という荒波の中で、中途半端な年齢で残された夫は、もがき、苦しみ、あがくしか無いのか。

現時点での資産。87555ポイント(4377円分)。

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