2018年2月28日水曜日

02/28 MTGの世界

こばわー^^
へのみちでっす。

今日で2月も終わりですね。
季節の移り変わりは早いものです。
明日は、
春一番が吹くとか。
風に飛ばされないよう気をつけましょうー。

さて、MTGについて。
このマジック・ザ・ギャザリングというゲーム。

醍醐味は、やはり、カードを組み合わせて作るデッキ構築。
そして、自分で作ったデッキが上手く回って、対戦で勝利すれば、なお嬉しい。

膨大な、もはや1人の人間が記憶できる容量を超えたカード総数、カードの効果、頻繁に変更されるルールを覚え、どのカードを入れれば強いかを考察し、実際の試合では、プレイングの上手さも要求される。

非常に難易度の高いゲームと言えます。
だからこそ、面白いとも言えます。

デッキを作る時、マナの色は全部で5色あり、色んな色のカードを入れようとすると、多色デッキになります。

様々なカードを使える計算ですが、赤のカードは赤マナでしか使えなかったりするので、平地(白マナを出す土地)を場に出しても、手札に白カードが無いと、何も出来ないとか、自分だけ展開が遅くなり、負けてしまいます。

なので、単色デッキがおすすめです。
単色デッキなら、土地は1種類だけで済み、カードも色による特色があるので、デッキコンセプトも同じようなものになります。

例えば、赤のカードなら、攻撃力>防御力のクリーチャー(モンスター)や、クリーチャーや相手に直接ダメージを与える呪文などがあり、攻撃的なデッキになります。

例えば、この「ショック」なら赤マナ1つで2点ダメージをプレイヤーorクリーチャーに与えることが出来るのです。

赤は、土地破壊も得意で、下のカードのように、相手の土地を破壊することもできます。
土地はマナを産み出すソースなので、序盤に破壊できれば、非常に有利になります。

青は、相手の呪文やクリーチャーの召喚を打ち消すカウンターが得意です。
相手の行動を阻害し、次第に場を支配していく、上級者向けのデッキでしょう。

代表的なカードがこちら。2マナで相手のカードを打ち消すことができます。

また、この放蕩魔術師。
タップ(横にカードを倒し行動させる)することで、1点ダメージを飛ばすことができます。

この人で攻撃するよりも、相手のターン終了時などにタップして1点ダメージを飛ばし、自分のターンですぐにタップから起き上がる、というプレイングをすることで、いつでもダメージを好きなタイミングで飛ばすことができます。

名前は「砲塔魔術師」にした方がいいかもしれませんね^^

緑は、マナを産み出すクリーチャーや巨大クリーチャーの宝庫。

代表的なのは、この極楽鳥。クリーチャーとしてのパワーは攻/防=0/1、飛行持ちというだけですが、タップによりマナを生むことができます。

1ターン目に土地を出して1マナでこの鳥を召喚。2ターン目で2枚目の土地を出し、土地からの2マナと鳥からの1マナを合わせると、2ターン目で3マナの呪文や召喚が可能になるのです。

そのため、この鳥はマナバードなどと呼ばれ、強力なカードになります。

白は、平和的な色。
治療や回復、下のカードのように付加物などを除去することもできます。

コストの小さいクリーチャーが多く、ウイニーデッキという小さいクリーチャーばかりのデッキも得意です。

黒は、ダークな色。

ゾンビとか、相手のクリーチャーを即死させる呪文などがあります。
墓地を活用するカードなんてのもあるかな。

単色デッキは早くて強いですが、色対策をされると弱いです。

MTGの試合では同じデッキを使って3戦し、2勝した方が勝ち。2戦目以降は、サイドボードと呼ぶ、あらかじめ決めておいたカードプールからカードの入れ替えが可能ですので、2戦目以降は色対策カードを使われる可能性があります。

かつてのおいらは、白単ウイニーデッキが好きでした。
トーナメントで勝ったデッキも、序盤から出せる軽量クリーチャーで速攻をかけ、しかもシャドーという相手をスルーして攻撃ができるクリーチャーとし、ある程度クリーチャーを並べたら十字軍(全白クリーチャーの攻防+1)で強化し、浄火の鎧(手札の数だけクリーチャーの攻防+1)でさらに強化し、相手のクリーチャーで防がれるようになったら神の怒り(全クリーチャー除去)でリセットする、という戦い方です。これに、さらに、睡蓮の花びらという0マナアーティファクトでブーストして超速攻デッキとしていました。

今は殆どのカードが無いけれどね。

さて、昨日はベータのカードの確認をしていたのでした。

うん。

あったよ。

パワーナイン。

それも、MTGのカードでブラックロータスに次いで強力な「モックスサファイア」。

MTG Wiki のカード特別評価のVintage Mastersにはこう書かれている。

通常のレア度は、
 コモン<アンコモン<レア<神話レア。

パワーナインのレア度の位置づけは、
 コモン<アンコモン<レア<神話レア<スペシャル
 神話レアのさらに上をいく「スペシャル」。

すさまじ過ぎる@@!!



2018年2月27日火曜日

02/27 MTG ベータシリーズ

こばわー^^
へのみちです。

MTGという、非常にマニアックな世界のお話の続きです。

おいらは、かつて必死になって集めたカードの殆どを、二束三文で売り払い、カード資産は、残り僅かとなった。

しかしながら、かつてバカになって集めた、ベータのカードは、全く未使用のまま(スタンダードの試合で使えないので)コレクションとして、厳重に保管されたままでした。

久しぶりに、コレクションを開封し、数えてみると、285枚のカードがありました。

ブースターパック(15枚入/パック)を19パック開封した計算で、1パックが当時3万円(今はもっとするか、そもそも未開封のパックが存在するかも怪しいです)だったので、計57万円をつぎこんだ計算になります。

これらを、1枚1枚分類してみる。

・基本土地カード  93枚
・レア土地      3枚
・アーティファクト 14枚
・赤カード     30枚 
・青カード     42枚
・緑カード     44枚
・白カード     24枚
・黒カード     35枚
 計       285枚

基本土地はレア度が設定されていないので、これを除いたカード総数は、192枚。

レア度で分類してみる。
R=レア、U=アンコモン、C=コモン
・レア土地     R:3枚
・アーティファクト R:2枚 U:12枚 
・赤カード     R:3枚 U: 4枚 C:23枚
・青カード     R:1枚 U:11枚 C:30枚
・緑カード     R:5枚 U: 9枚 C:30枚
・白カード     R:1枚 U: 6枚 C:17枚
・黒カード     R:4枚 U: 6枚 C:25枚

ベータの希少カードの中で、アンコモンが48枚、レアが19枚だった。

さて、話は変わりますが、MTGのカードの中には、伝説のカードがあります。

歴史が長いゲームですが、開始当初の黎明期には、カードのバランスが上手く取れていないカードがあり、ぶっ壊れた強さを持つカードも存在していました。

その後も様々な新しいカードが生まれ出て、頭の良い人が、物凄い複雑な仕組みの強力コンボを編み出し、大会で、そのデッキが席巻すると、たちまち、キーカードが使用禁止となる、という流れが繰り返されてきました。

けれども、MTG開始直後のぶっ壊れカード達は、コンボとか考えるまでも無く、単体で明らかに強すぎることが明白で、中でも、取り分け絶大なパワーを秘めた伝説のカードが、「パワーナイン」と呼ばれるカードでした。

パワーナインの9枚のカード。
これは以下のカードとなります。

① Black Lotus(ブラックロータス)
② Mox Sapphire(モックスサファイア)
③ Ancestral Recall(アンセスタルリコール)
④ Time Walk(タイムウォーク)
⑤ Mox Jet(モックスジェット)
⑥ Mox Ruby(モックスルビー)
⑦ Mox Emerald(モックスエメラルド)
⑧ Mox Pearl(モックスパール)
⑨ Timetwister(タイムツイスター)

この9枚は、あまりの強大さゆえに、MTGの世界では、再録禁止カード扱いとなっています。

つまり、今後、いくら、色んなカードが発行されようと、パワーナインが、再録されることは永久にありません。

なので、取引価格は、高額なものとなります。

ちなみに、そのお値段は、というと。
上の①~⑨までの順番どおりに値段であり、この9枚が、MTGの高額カードの上位9位をそのまま占めています。
①:85~100万円
②:24~27万円
③:24~27万円
④:19~22万円
⑤:19~22万円
⑥:15~17万円
⑦:15~17万円
⑧:15~17万円
⑨:12~13万円

さすがに、MTG最高峰のブラックロータスは、規格外ですね。

パワーナインの9枚は、カードの種類で言いますと、アーティファクトに6枚、青カードに3枚あります。

なので、おいらのベータセットのレアカードである、アーティファクトのレア2枚、青カードのレア1枚に、パワーナインが含まれていないか、確認してみる。

果たして、その結果はいかに??

つづく・・zzz。

2018年2月26日月曜日

02/26 MTG(マジックザギャザリング)

こばわー^^
へのみちです。

死別編は、これで終了です。
お付き合いいただいて、ありがとうございました。

ここからは、話を変えていきましょう。

さて、「MTG」というものをご存じでしょうか?
正式には、「マジック・ザ・ギャザリング」と言い、トレーディングカードゲーム(TCG)の1つです。

MTGは、世界初のトレーディングカードゲームと呼ばれ、1993年に発売が開始されました。

今から、約25年前ですね。

トレーディングカードゲームとは何ぞや?という方もおられるかもしれません。

トレーディングカードゲームとは、ゲームが出来るカードでありながら、カード自体に入手度のランクがあり、希少性のあるカードは、コレクションの対象にもなるもの。

おいらの子供の頃で言うと、野球カードで確か、そんなのがあったと思います。表面に選手の顔写真、裏面にサイコロの出目に応じて、ホームランやヒットなどが書かれたカードが確かあったはず。

MTGは、そんなコレクター心を揺さぶるシステムを備えたゲームであり、今から21年位前、1997年頃に、おいらは思いっきりハマっておりました。
もう、中毒患者と言っても良いほど、ドツボにハマっておりました。

MTGとは、どのようなゲームなのか?
簡単に言いますと、土地、呪文、クリーチャー(モンスター)などのイラストが描かれたカードを集め、これらを組み合わせたデッキ(カードの束)を作ります。

デッキは、60枚ほどで作り、同じ名前のカードは、デッキに4枚までしか入れることは出来ません。

土地を出して、マナと呼ばれる魔力を産み出し、マナを消費して、モンスターを召喚したり、呪文を唱えたりして、相手プレーヤーと1対1で戦います。

ライフポイントがお互い20あり、相手のライフを0にするか、デッキのカードが先に無くなると負けになるというルール。

カード切れで負けになるのが嫌で、デッキの枚数を増やせばいいかというと、そうでもない。

同じ名前のカードが4枚しか入れられないので、強いカードやデッキコンセプトに合うカードを早く引いた方が勝率が高く、デッキの枚数は最低限な方が良い。

また、マナが無いと何も出来ないので、最初の手札(7枚)に土地が入っていないと、序盤に何も出来ずに負けてしまう。

これを「事故る」などと呼び、事故を防ぐために、土地カードはデッキの1/3程度は入れておく必要があります。

そんなこんなで、色々とテクニックを要求されるゲームですが、強くなろうと思ったら、対戦相手を見つけて、腕を磨くしかありません。

東京では、渋谷にDCIセンターという、MTGの総本山があり、定期的にトーナメントも開催されています。

おいらは、かつて、一度だけ、DCIで小さなトーナメントで優勝したこともあります。

MTGは、ゲームでの勝ち負けだけでなく、コレクターとしての楽しみ方もあります。

カードは、レア、アンコモン、コモンと入手難易度が設定され(今は神レアというのもあるそうです)、レアカードは手に入りずらく、市場でも高値で取引されます。

トレーディングカードというだけあって、個人では入手困難なカードでも、友達と協力して、トレードすれば、手に入りやすくなりますね。

MTGをやってる友達が1人もいない、という方でも、ショップで余ったカードを売ったり、持っていないカードを買ったりすれば、集めることは可能でしょう。

おいらは、基本セットの第4版~第6版の他、ミラージュブロック、テンペストブロック、ウルザブロックと買い続け、当時は必死にレギュレーションに付いていきましたが、ある時を境に、熱病から覚めるように、止めました。

理由は、スタンダードな大会で使用できるカードには、期限があり、次々と発売されるカードを買い続けなくてはならず、カードを覚える、ルール変更を覚える、購入に金を使う、これまで買ったカードの山を保管する、というのが、結構大変だったからでした。

ただ、MTGの魅力は、かなりのもので、伝説的なデッキが生み出されたり(例えば、「プロスブルーム」や「メグリムジャー」など)、それらの考え抜かれたデッキを、どのように打ち砕くかを考えたりするのが非常に楽しかったと記憶しています。

お金をかけずに遊ぼうと思ったら、スタンダードな試合でトップを狙うのではなく、あくまで楽しむためだけに、コモンカードのみのデッキを作って楽しむ、という方法もあります。

単色デッキなら、マナの色(赤、青、緑、白、黒)の5色のデッキを作ってみても良いでしょう。

当時、カードを購入するのに費やしたお金は、恐らく100万円は超えていたと思います。

なぜならば、日本にMTGが入ってくるよりも前の、アメリカでMTGが始まった初期の伝説のカードセットである「ベータ」のブースターパックなどに手を出し、15枚位のカードが入ったブースターパック1つが3万円位したと思いますが、これをいくつかまとめ買いしたりしていたからです。

今、考えると、「あほらかしい」としか言いようがないけれども、当時はMTGの最強カードである「ブラックロータス」がどうしても欲しくて、そんなチャレンジをしていたのでした。

結局、「ブラックロータス」などは手に入らず、「ベータ」のカードが280枚程度あるということは、これだけで56万位使ったということ。

さらに、スタンダードのカードも合わせると、200万くらい使ったんじゃないだろうか??

なんてこったい!!

今は、当時のカードを殆ど売りさばいてしまった。
懐かしい思い出の1ページ。

若かったなあ~。

2018年2月25日日曜日

02/25 死別 H29.2.24 14日目 ちーちゃんが死んだ

こばわー。
へのみちです。

喉の痛みが良くならないまま、薬が無くなってしまった。
栄養は取ってるんだけども。

日曜で病院も休みなので、龍角散、カコナール、C1000レモンなどを買う。


家で大人しくしているために、GYAOの無料動画で「霊幻道士2 キョンシーの息子たち!」を見る。
道士役のラム・チェンインは、落ち着いた雰囲気で、渋くて、男のおいらから見ても、カッコイイ!!
さらに、ツタヤで旧作DVDを借りる。
スパイもので「キングスマン」という奴。

スパイ映画は昔は「007」を見ていたけど、これも面白かった^^

悲嘆により、NK細胞が不活性になり、風邪も治りづらくなってるんじゃないかと思う。

なので、気持ちが高揚するような映画を見て、無理やり、NK細胞を活性化するのだ。

さて、14日目。

2017年2月24日(金)14日目

病室で寝泊まり。
意識はずっと混濁状態が続く。
見ているのが辛い。

00:30 呼吸苦しそう。
01:05 酸素濃度「3」。
02:15 呼吸のたびに、うなり声が出る。
03:35 〃
04:10 体位かえる。
04:25 ナースに返事した。
   手が冷たい。むせる。
04:55 ・・。
05:50 体温34.9℃。

仕事に行く。

09:15 病院から電話。
   呼吸があえぎ呼吸になり、血圧測定困難。
   体温低下。
   今日、亡くなる可能性大とのこと。
   ちーちゃんの兄へ連絡。
   病院へ向かう。
   手をずっと握りしめ、声をかけるが意識は無い。
   ちーちゃんのご両親、兄、医師、ナースも病室で見て
   いる。
   多くの人が見守っている中、、
15:55 呼吸、心臓停止。

ちーちゃんが死んだ。

その後、死亡宣告、解剖するかどうかの判断を問われたが解剖はしないと返答、葬儀社への連絡、荷物の引き上げ、など。

ここからは、葬儀に向けて怒涛のように、やることがあり、悲しみに浸る暇など無い。

それが良いのか、悪いのか。

兄の葬儀も終えた3月6日(月)から仕事に復帰。

3月中旬に退職を決意。

しかしながら、後任の手配を考えると、今すぐ退職することは出来なかった。

この1年間は、滅茶苦茶な精神状態の中、責任感だけで仕事に集中してきた。

あと少しだけども、3月末まで頑張ったら、その後は、もう休ませて欲しい・・。

疲れた・・。

2018年2月24日土曜日

02/24 死別 H29.2.23 最期の言葉

こばわー。
へのみちです。

今日は、ちーちゃんの命日。
晴天で風も無く、比較的暖かい1日。

ちーちゃんのお墓は、ちーちゃんの実家の近くにあるので、早朝に出発。
ちーちゃんのご両親、兄と4人で墓参りに行く。

お供えの花、線香などを持ち、お参り。
見晴らしの良い、静かで、のどかな場所だった。

その後は、4人で食事して、ちーちゃんのご実家で歓談。
イチゴやキウイ、ビールなどを頂いた。
昼食代も出して頂き、本当に申し訳ない気持ちです。
義父、義母、義兄のお心遣いには、感謝してもしきれない。

そして、13日目。
現実と1日の誤差があるけれど、、。

2017年2月23日(木)13日目

00:25 血糖値88、体位かえる。
02:30 ちーちゃんから「足もんで」とのリクエスト
   →足をマッサージ。
04:00 覚えていない。
05:15 ちーちゃんから「陽くん、足もんで」とのリクエス
   ト→足をマッサージ。
05:30 ちーちゃんから「足もんでくれる?」とのリクエス
   ト→足をマッサージ。
05:45 ちーちゃんから「陽くん、足もんでくれる?」との
   リクエスト→足をマッサージ。
06:00 ちーちゃんに、「仕事いってくるね」と言うと
  「行ってらっしゃい」との返事。

仕事に向かう。
仕事を終え、夕方、自宅に寄り、洗濯、着替えを持ち病院へ。

21:40 ちーちゃんの口に酸素マスクあり。
   酸素濃度は「2」。
22:10 ちーちゃんに足マッサージ&声かけするも反応な
   し。

今日も病室に宿泊する。

23日は死亡前夜。朝6時の「行ってらっしゃい」が、おいらの聞いたちーちゃんの最後の言葉になった。

ちーちゃんと一緒に暮らしていた時、朝、仕事に行くときは、おいらが「行ってくるね」と言うと、ちーちゃんは「行ってらっしゃい」と答え、互いにハグ&キスして家を出た。

いつも通りの言葉の掛け合いで、ちーちゃんは病室でおいらが仕事から帰ってくるのを待っていたんだろうか。どんな気持ちで待っていたのか。

今となっては分からないけれども、思い返すたびに胸が締め付けられる。

2018年2月23日金曜日

02/23 死別 H29.2.22 12日目 体力の低下

こばわー。
へのみちです。

明日は命日。
ちーちゃんの実家、お墓に行きます。

1周忌とか3周忌とかは、やらない。
毎日、電気の消えた、誰も居ない家に帰るたび、今日も、ちーちゃんがいないんだ、という現実に日々向き合っている、おいらにとって、1年目だとか3年目だとか、そういう区切りは無い。
時間はあれから止まっているようなものだから。

あれからもう1年経つんだねえ、なんて言って、1年目になって、ふと思い出す、という人達にとってみれば、1周忌が節目として大事なのかもしれないが。

しかしながら、実家のご両親達にしばらく会っていない。
お墓まいりもいかない訳にはいかない。

お墓も、遺骨が眠っているが、お墓に行かなければ、ちーちゃんに会えないというのでは悲しすぎる。

ちーちゃんは、常に、おいらの心の中に居るんだ!話しかけようと思えば、いつでも話しかけることができるんだ!とおいらは思っている。

さて、12日目。

2017年2月22日(水)12日目

00:30 血糖測定、体位かえる。
02:30 足を揉む。→ちーちゃんから「ありがと」の言葉。
04:15 足を揉む。
05:50 睡眠。

仕事に向かう。日中は仕事をし、夕方、自宅に寄って洗濯。
シャワーを浴び、着替えを持って再び病院へ。

22:00 鼻に酸素の管あり。酸素計の目盛り「1」。
   右手指に酸素測定器あり。
22:30 酸素数値90→酸素計の目盛り「2」へ。
   昼の様子をナースに聞くと、大丈夫?との問いに「大
   丈夫」と答えたとのこと。
   手足のむくみが酷い、手が冷たい、半目で口呼吸、意
   識レベルは低い。
   体の余力が無くなっているんだと思う。
 
   今日も宿泊する。

2018年2月22日木曜日

02/22 死別 H29.2.19~21 9~11日目 足を揉む

こばわー。
へのみちです。

のど風邪がなかなか治らない。
仕事帰りに、ニンニク入り餃子とラーメンを食べて帰宅。

薬を飲んで安静にしよう。

さて、9~11日目。
死別記事もあと少しです。

2017年2月19日(日)~21日(火)9~11日目

🔵2月19日(日) 9日目

朝  病院のナースから言われていたブドウ糖を薬局で購入
   し、病院へ向かう。

11:00 面会。会ってすぐは意識あるが、しばらくすると意
   識が混濁してしまう。

13:00 ちーちゃんのご両親、兄が来訪し、面会する。
   面会時は意識、笑顔あり。

18:00 ちーちゃんのご両親、兄が帰る。
   ちーちゃんから「足もんで」とのリクエストがあり、
   足を揉む。
   足を揉んだ後、しばらくして「もう1回足もんで」と
   リクエストがあり、足を長時間揉んだ。

   何だか、あまり覚えていない。。。

🔵2月20日(月) 10日目

仕事を終え、病院へ。

18:00~20:00 ちーちゃんのお見舞い。

何だか、あまり記憶が無い。

帰りがけに、ナースから、病院に宿泊してはどうか?と言われ、仕事があるので宿泊は難しい、と断った。

🔵2月21日(火) 11日目

仕事を終え、病院へ。

昨日、ナースから宿泊の提案があり、一度断ったが、やはり思い直し、宿泊の準備をして病院に行く。

20:15 室温27℃。
   2時間に1回、ナースが見に来てくれる。
   夜間は3人体制で、体位の変更や血糖測定など万全の
   体制。
   寝たきりで褥瘡などが出来ないようにするため体位を
   変えてくれるが、結構、重労働だと思う。

21:00 血糖値71
22:00 ちーちゃんから「足もんでくれる?」との声。
   意識が混濁・朦朧としながら無意識で言っているのか
   分からないが、足を揉む。
   今日から病棟のちーちゃんと同じ部屋に寝泊まりする
   こととする。

2018年2月21日水曜日

02/21 死別 H29.2.18 8日目 4人で今後の話し合い

こばわー。
へのみちです。

今日はまだ喉の痛みと病み上がりの体力の無さを感じつつ、職場へ。
仕事を終えたあとは、夕食に、少しでもカロリーを取るため贅沢をする。

どうするか。
マッキントッシュでビッグマック!!
うわぁ~。
贅沢をしてしまったなあ。

さて、8日目です。

2017年2月18日(土) 8日目

今日は土曜日のため、仕事が休み。

10:40 病院から電話。
   夜中に3回鼻の栄養チューブを自分で抜いてしまう。
   手袋で手の動きを制限して良いか?とのこと。
   栄養チューブは命綱なので同意。

13:00 ちーちゃんと面会。
   ちーちゃんのご両親、兄
   そして、おいら。

   意識ははっきりしている。
   写真等を見せ、ラジカセでCDを聞かせる。

   面会終了後、ちーちゃんのご両親、兄と今後の方針に
   ついて話し合う。
   
   希望を無くしてはいけないが、最悪の結果も想定して
   おかないといけない。
  
   家で発見したエンディングノートを4人で見ながら、
   ちーちゃんの倒れる前の希望を確認する。

   本人に余命などは言えないが、助かる見込みが無い場
   合は延命しないこと、亡くなった場合は、ご両親の実
   家に近い場所で葬儀を行うことを決定した。

17:00 医師から全員に病状の説明。
   肝臓の悪化が止まらない(悪化の勢いがついてい
   る)。
   回復の見込みなし。
   1週間以内に亡くなると思う(早くて数日)。
   気管チューブや人工呼吸器は延命でしかない(心マッ
   サージは肋骨折れ激痛)。
   一旦付けたものを外すのは現行法では殺人になる。
   日々の血液検査も意味が無くなっている(結果が分か
   るだけ。苦痛も)。

   →医師に、延命は望んでいないこと(本人も)、血液
    検査は悪い時のみにして欲しいことを伝えた。

2018年2月20日火曜日

02/20 死別 H29.2.17 7日目 意識レベル少し上向き?

こばわー。
へのみちです。

昨日はやばかった。喉の激痛に加え、頭がボーっとしていて、帰りに道を間違えたり、青信号なのに発車しなかったり、一度コンビニで休憩したにも関わらず、フラフラ運転だった。

最近の節約生活、ストレス、寒さで免疫力が落ちていたんだと思う。

今日は、仕事を休み、家で安静に。
食事に出たついでにDVDを1本借りて見る。
題名は「メイズランナー」。
壁に囲まれた土地に送り込まれ、怪物を倒して外に出る、というお話。
表題には、迷路から脱出しろ!と書いてあるけど、迷路は既に攻略されていた、という衝撃の展開が待っています。

とにかく、症状を早く治さないといけない。
今が底と考えていると痛い目に会う。
症状が悪化するかもしれないし、この症状に加えて、怪我や食中毒、感染症が追加されたら目も当てられない。

なので、栄養を強化することにする。
サイゼリヤで、ステーキ、トマト、モッツァレラチーズを注文。ステーキなんて、久しぶり。

あとは、温かくして横になろう。

さて、7日目を書く。

2017年2月17日(金) 7日目
会社から1時間休をもらい、病院へ向かう。

17:05 病院へ向かう途中に医師から電話にて今日の病状の
   説明あり。
   良くなった点・・意識昨日より良い。血圧80‐90に上
    がった。
   悪い点・・肝臓↓GOT3700、GPT1980。
   WBC、血小板↓。
   大部屋から個室へ移動した。

   18日17:00に、医師、おいら、ちーちゃんの兄、ご両
   親と面談の日程調整。

19:00 ちーちゃんと面会。
   昨日より意識上向きの感じ。
   好きだったスピッツのチェリーを歌うと、首を縦に動
   かしてリズムを取ってくれた。
   ちーちゃんが昔、ミニオンズのキャラを指さして、
  「目が大きくて、陽くんだあ~」と言ってたのを思い出
   し、ミニオンズの写真を見せると笑ってた。
   足のマッサージをすると、「足は気持ちいい~」との
   言葉。
   帰り際、「おやすみ」と言ったら「おやすみ」との返
   事。
 
   話しかけると答えてくれるが、あまり長時間面会する
   と本人も疲れると思う。
   無理をしない範囲で接するのが良いのか・・。

2018年2月19日月曜日

02/19 死別 H29.2.16 6日目 医師からの説明

こばわー。
へのみちです。

今朝は朝から喉の痛みが激しく、風邪の引き始めじゃないかと思っております。
職場に向かう途中のコンビニで、龍角散のど飴、カコナールを買い、パブロンSも飲みますが、痛みが取れない。

仕事では、話をしない訳にもいかないし。

仕方なく、帰りに病院に行き、薬ももらいました。
温かくして、安静にしないと。

さて、6日目。

2017年2月16日(木) 6日目
仕事を終え、病院へ。
18:00 面会し、ちーちゃんと話す。
 ちーちゃんの好きな食べ物(イチゴ狩り、酒まんじゅう、
 漬物、コーラ、ココスのお茶)などを話すが、反応は少な
 い。
 ちーちゃんに、おいらがあげた手作りの蛇の杖を見せる
 と、ジッと見ていた。
 ちーちゃんが昔、ペンギン歩きをしていたと話すと、分
 かっているのか笑った。
 結婚指輪を見せると、見ていた。
 その後、目を閉じる。
 →足のマッサージをする。

18:40 医師から説明。
 診断:低血糖発作
 内科に来た際、
  ・体重極度に痩せている BMI:12(通常10を切ると半
   分死ぬ)
  ・血糖値低い。 Na、K、Mgが低下
  ・肝臓悪い。
  ・体温低い。
 飢餓状態から守ろうとして体温低下、肝臓ダメージ。

 良くなったのは、体温が上がり、K、Na、Mgが上がった。
 悪くなったのは、血糖常に低い(肝臓に余力なし)、肝臓がどんどん悪くなっている。

 昨日から今日の変化(血液検査の推移)
 ・意識反応が遅く、鈍くなっている。ボーっとし、受け答
  え無いことも。
 ・肝臓のダメージがさらに悪化。
 ・WBC、血小板が減少(血液の成分低下)
 ・脈が低い(血圧計で測定不可、手首でかろうじて分かり、首で何とか分かる)。推測で70~80程度→身体全体の余力なし(身体に血がいきわたらない)。

 栄養を入れると肝臓にダメージ。ぎりぎりのバランスでやってるが、肝臓が悪くなり、バランスを取るのが困難になっている。
 血糖値を最小で維持し、肝臓にダメージがいかないようにしているが、肝ダメージが防げない。
 体力が底を尽き、ここ数日で亡くなる可能性は半分以上。
 呼吸と腎臓以外が悪い方向。
 最初は救命のための治療であったが、徐々に延命になってくる。
 心停止したら人工呼吸器の管を付け、呼吸停止したら心マッサージ、血圧が下がれば無理に上げることになる。これは苦痛を与えることになる。
 何かを直そうとしても他に影響が出るので出来ない。
 急変すれば夜中にも電話するが、延命措置を取るかどうか決め連絡してほしい。

19:30 ちーちゃんの足を揉む。
 目は閉じているが、気持ち良さそうな顔であった。

帰り道、ちーちゃんの兄、母親に電話し、病状を説明
→土曜日に会うことに。

医師からの説明では、やはり深刻な内容しか出てこない・・。
ここ数日で亡くなる可能性が半分で、具体的な治療が出来ない状況。
正直、お見舞いに行くこと自体が辛い・・。
急変時に延命措置を望むかどうかは、向こうの兄、ご両親と協議する方向・・。

2018年2月18日日曜日

02/18 死別 H29.2.15 5日目 脳より肝臓

こばわー。
へのみちです。

毎朝、セブンイレブンでホットコーヒーを買って、気分転換するのですが、最近は5杯で1杯サービスのセブンカフェのキャンペーンを実施中。地味にうれしいですね。
さらに、夕飯では、丸亀製麺のクーポンが貯まったので、かけそばにトッピングの卵を追加。勢いで、天ぷらも注文しちゃいました。
そして、帰宅後は、送別会でいただいた大吟醸をチビチビと頂く。さっぱりして飲みやすい。

また、ポイントも頑張り、現時点での総資産は、96395ポイント(4819円分)となった。

さて、5日目にいこう。
2017年2月15日(水) 5日目

午前
 ICUなどの治療や入院では医療費が高額になる。特に入院が長期化しそうな状態のため、限度額証明書の手続きを行う。これは、手続きした月から、ある一定額以上は請求されなくなるもの。皆さんも高額医療になりそうな時は、手続きされることをお勧めします。

13:54
 担当医の紹介。ちーちゃんの倒れる前の状況などの聞き取りあり。
 医師からの病状の説明。
・肝臓)
 入院以降、肝臓の数値は4桁が継続。
 肝臓は栄養を貯めたり、食事を栄養に変換したり、解毒するなどの器官。
 数値の高い状態が長年続くと良くなる事は無い。
 →数字的に肝不全と言ってよく、直す方法が見当たらない。今、鼻から栄養と水分を入れているが、口から食べれる状態ではない。栄養を入れるのが非常に困難(何とか身体を騙して入れることができないか模索中)。例え、カロリーが取れたとしても肝臓のダメージは残る。
・脳)
 形状に問題は無い(出血や脳梗塞は無い)。
 機能は不明。
・倒れた時、嘔吐物がコンビニ袋にあり、木製スプーンが置いてあったなど、嘔吐する手段が慣れたものであり、普段の食事も入っていない可能性あり。
・長年の低栄養、肝機能の障害が疑われる。
 他院の血液データ、病院名(診察券)など後日持ってきて欲しい。
・体重は入院時25kg。今28kgだが、3kgは点滴の水分。
・担当医の女性の一人)「食事したい気持ちはありますか?」と聞いたら、「あります」と答えた。
・次回の面談・・26日(日)13時。救急車の当番なので1時間単位で待たせることも。(平日は9-17時)
・転院・・当院は急性期病院(救急車で来る患者対応)なので、しばらくすると、地域の病院を紹介し、転院になる。(平均12日)
・やってもいいこと・・音楽、マッサージ、おしゃべりなど問題なし。
・ナースステーションに、吸い飲み(水を飲むコップ)、水(ミネラルウォーター)、おしりふきを届けた。

ちーちゃんと話す。
・過去のことは、覚えてなくても気にしないこと、覚えてないことは前世で付き合ってたと考えて聞いて欲しい。
・ちーちゃんと付き合い始めた頃の話、旅行や趣味の話、好きなものやエピソードなどを話す。

🔴覚えていなかったこと。
・殆どの思い出の記憶が無い(軽井沢、湯西川、沖縄、ベトナム、小笠原、伊豆大島などの旅行、お気に入りだった飲食店、キャンプ、登山、城跡巡りなどの記憶が無い)。
・付き合い始めの頃のディズニーランドの記憶は微妙。
🔴覚えていること。
・付き合い始めの頃の、大洗の海に行き、おいらのアパートに泊まった話は、明らかに知ってる感じで「うん、うん」と声にして頷いていた。
・付き合い始めの頃、ちーちゃんが勤めていた添削の仕事の会社名をおいらが忘れ、「何だっけ?」と聞いたら「〇〇社」と答えてくれた。
・「ちーちゃんが一番好きな人は?」と聞いたら「陽くん」との返事。「ちーちゃんが2番目に好きな人は?」と聞いたら「陽くん」との返事。
「1番か2番にお母さんが入ると思ったんだけど?」と言い、「じゃあ、陽くんが一番好きな人は?」と聞いたら「ちのぶ」との返事。
・「陽くんは浮気しないよ」と言ったら「私も」との返事。
「おいらはモテないからね」と言ったら「モテるよ」と顔を左右に振った。
・「いっぱいしゃべってくれてありがとう」との言葉あり。
・ちーちゃんは、俺の足マッサージが好きだったという話をし、「揉もうか?」と言ったら、「大丈夫」との答えだったが、「1回揉んでみようか?」と言い、揉んでみたら、「気持ちいい」と言って表情が和んだ。
・「俺のいないとき、何を考えてる?」との問いに「何も考えていない」。

今後)
 当院以外の病院名の分かる書類を持参すること。
 去年の血液検査結果を持参すること。
 精神科の診察結果を持参すること。

ちーちゃんに次に話す内容は、
写真を見てもらう(記憶を思い出す補助になるかも)。

2018年2月17日土曜日

02/17 死別 H29.2.14 4日目 ちーちゃんとの会話

こばわー。
へのみちです。

昨日は、昨年の職場の方々と送別会でした。
美味しいお酒とお料理で楽しめました。

さて、死別編の4日目です。

2017年2月14日(火)4日目
自宅でネットで調べると、「高次脳機能障害」という言葉を発見。
脳に重度のダメージがあると、記憶に障害を受ける。
映画や小説にあるような、記憶喪失は一時的なもので、記憶が戻ったりするが、不可逆的な障害では記憶は永遠に戻らない。

また、記憶を留めておく部位が破壊されると、メモリーが無いため、新しいことを覚えることが出来ない。新しいことが覚えられないとなると、旅行などしても思い出が作れず、学習が出来ないこととなる。

記憶障害も、車の運転、道交法、ガスの元栓を閉める意味、家の鍵を掛ける意味、洗濯機や冷蔵庫の使い方などが分からなければ、日常生活を送れない。介護が必要にもなってくる。

少しでも、記憶が戻る手段があれば、実践したいと思う。

午前
 職場は理解のある職場で、今日は休暇を頂くことが出来た。忙しい職場なのに、申し訳ない。
最初の病院に治療費を支払い、入院に必要なオムツ等の買い出しを行う。郵便局で簡単な雛祭りのメッセージカードを購入。

12:00
 ちーちゃんのご両親、兄と病院で合流。
入院の手続きに必要な書類を作成。

13:00
 ちーちゃんと面会。
 ちーちゃんに眼鏡をかけてあげる。
 担当医から説明。
  明日、内科に転科。低血糖が続くと、脳に不可逆の障害
 が残り、通常は意識も戻らない。今回、意識が戻ったが、
 日常生活が送れるかどうかは今後の状態次第。
  肝臓は一旦数値が良くなったが、200kカロリー/日を点滴で
 入れている(ご飯一杯程度)ところを300にしたら、数値
 が上がった。肝臓が栄養を処理する限界が低い。内科に行
 くと、栄養を増やす中で肝障害、電解質の異常が出る可能
 性あり。

面会で判明したこと。
 覚えていること)おいらの名前、顔、兄やご両親の顔
         好きなヌイグルミへ好反応
         郵便局で買った雛祭りのメッセージカー
         ドを手に取り、眺めていた。
 セリフ)「ちゃんと食べてたんだけどねえ」が多い。
  おいらへ)「心配してくれたんだ」「太るからね」
  実母へ)「疲れないように」
  実兄へ)「忙しいのに」

 疑問点)
・過去の旅行、1週間前に転んで歯が欠けたことを覚えていない。
・質問に答えるが覇気が無い。
・感情があまり出ない(何か諦めているのかもしれないが)
・積極的に質問してこない(普段なら、家の事は大丈夫か?とか携帯はどうした?とか聞いてくると思うが、記憶が無いのか、どうでもよくなっているのか何も質問が無い)
・困っていることや欲しいものは?という問いに対して無回答。
・昨日は眼鏡を持ってきてなかったが、おいらの顔が良く見えない、などの言葉も無かった。
・ストロー付コップを指さし、飲み物を飲んだりできる?と聞いたが反応が鈍かった。→複雑な問いへの回答が難しい?

今後、確認すること
(脳へのダメージの状態は?)
・新しい事象を記憶できるか
・日常生活に必要な事柄を記憶しているか(退院後に日常生活できるか)。洗濯方法、冷蔵庫の使い方、ガス、電気、水道、戸締り、車の運転
・日常の単語を覚えているか(漢字、数字、熟語など覚えていないと質問しても伝わらない可能性あり)
・感情表現(喜怒哀楽)は前と同じか
・何を忘れ、何を覚えているか
・過去の出来事を思い出せるか

(身体のダメージは?)
・肝機能は正常値に戻るか
・肝機能が再度悪化しない生活方法
・歩けるようになるか
・以前の骨粗鬆症は悪化していないか
・筋力はどうか
・前歯の処置
・体重は何kgか
・股関節のスジを痛めていたが改善するか

(医師への要望)
・ナースが名前を間違えた。過去の1回目の救急搬送の時、救急車内で名前を間違えられ、意識不明な中、本人は怒っていた。本人へのストレスを減らすため、名前の間違いの無い
ようにして欲しい。

(本人への接し方)
・励まし、新たな命を貰った感謝、焦らず0から。
・今後、回復するにつれ、以前に出来たことが出来ないことが分かってくる。
 →ストレス。これを軽減すること(迷惑を掛けていると思ってしまうが、そうではないこと)。
 →達成感につなげる。ちーちゃんがいてくれて、やってくれて、こんなに助かった等。
・ちーちゃんが一番やりたいことは?
 太ると答えたら、太った後にやりたいことは?
・ちーちゃんが一番好きな人は?
・ちーちゃんが一番好きな食べ物は?
・ちーちゃんが一番大切だと思うものは?

2018年2月16日金曜日

02/16 死別 H29.2.13 3日目 意識戻る

こんにちわ。
へのみちです。

2017年2月13日(月) 3日目
朝   いつも通りに職場に出勤。
    普段と同じように振る舞う。悲しい感じではなく、
    あくまで普段どおりになるように。
    仕事をしに出勤したということは、遊びに来たので
    はない。
    悲しくったって仕事の手を止めることはできない。
    また、仕事をすることにより、現実逃避になる。
    意識が無く、話すこともできないちーちゃんに会い 
    にいくこと、ちーちゃんがいない自宅に一人で戻る
    こと、ちーちゃんとの思い出を思い出すこと、これ
    らが辛いので、仕事をしている間は忘れることがで
    きる。

15:15  職場の講演会で話す。講演会の途中で携帯に着信
    があったが、講演の途中では確認できない。
17:09  講演が終了し、携帯を確認。着信は病院からで、
    電話すると担当医師から信じられない言葉が。
    「本人が目を開け簡単な受け答えはする。元の状態
    か判別つかない。肝臓は悪いので過度の期待はしな
    いで欲しい。」
    今から会いに行っても良いか確認すると、OKとの
    こと。
    その時の心境は、「マジか!マジか!」と連呼しな
    がら、1秒でも早く会いに行き、話がしたい、と
    思っていた。
    ちーちゃんのご両親、兄、職場の上司に報告。
20:00  病院着。
    本人に面会。目を開け、認識できている様子。
    ちーちゃん「ちゃんと食べてたんだけどね。」「心
    配してくれたんだ。」
    覚えてる?との問いに、「覚えてるよ。」との返
    答。
    今まで行った旅行は覚えてる?→「・・・」
    1週間前に転んで歯が欠けた記憶もなし。
    簡単な質問には答えられるが、複雑な問いかけには
    答えられない様子。
    おいらのことは、覚えている様子。
    覚えていないことも覚えているように振る舞ってい
    る可能性も。
20:20  ちーちゃんのご両親、兄、職場の上司に報告。
    束の間の喜びを分かち合う。

2018年2月15日木曜日

02/15 死別 H29.2.12 2日目 エンディングノート

こばわ。
へのみちです。

2017年2月12日(日)
7:00 コンビニに買い出し
8:00 最初に搬送された病院にタオルを返却
9:30 自宅近くのホテルに、ちーちゃんのご両親を迎えに行く。カワチで入院時に使用するものの買い出し。
12:00 病院着。面会時間は13時からなので、入院で使用するタオル、服、コップなどにサインペンで名前を書く。
職場の上司に電話。明日の仕事は自分がメインの業務なので出勤する旨を伝えた。
13:00 ちーちゃんの兄家族が合流。
ちーちゃんと面会。面会と言っても、ちーちゃんの意識は無い。
昨日は意識が無い状態で、目を開けたり、口を開いたり、手を大きく振り回すなどの動きがあったが、今日は寝ているような状態。
皆の呼びかけに無反応。皆で手を握ったり、呼びかけを繰り返す。
おいらは、妻がよく希望していた足裏のマッサージをする。
15:00 ちーちゃんのご両親、兄家族と食事。病状を説明する。ちーちゃんのご両親からは食事代も出してもらった。
17:00 自宅に帰宅。3月に予定していた、ちーちゃんとの伊豆旅行の宿をキャンセル。
自宅で、ちーちゃんの診察券などから、予定されていた歯医者の予約などをキャンセル。

なぜ、ちーちゃんは倒れたのか?自宅の状況や手記などが無いか探す。

すると、コタツの周囲に、シンプルな葬式などの葬儀社のパンフレットがあり、さらに、押入れからエンディングノートが見つかった。

エンディングノートとは、遺書ではないので、法的な拘束力は無い。
しかしながら、今回のように急に意識が無くなった場合など、本人の生前の希望を記しておくツールである。おいらは、疲れて抜け殻のようになっていたが、このノートを見つけた時、本人の意思が伝わり、少し気力が戻った気がした。

ノートの中身は以下のようであった。
・本人、夫、家族、親戚、友人の連絡先や本人との関係
・延命措置について・・延命より苦痛を少なくして欲しい。
・葬儀について・・シンプル、少人数、無宗教、できるだけ安く。
・お墓について・・墓不要。永代供養方式。実母、夫、本人の骨を一緒にして。
・遺産分割の方法
・大切な人へのメッセージ

このノートは、本人の意思表明だけでなく、その後の手続きをするうえで、連絡先などが書かれていて、何度もノートに助けられた。

今、生きている両親はもとより、自分もいつ何時、不慮の死を遂げるか分からない。

このようなノートを残された家族に残しておく必要があると思う。

そして、ノートの最後のページに記載されていた、大切な人へのメッセージ。
おいらは、ちーちゃんに、「陽くん」と呼ばれている。

このノートを書いた日付は平成29年2月3日。倒れた10日の1週間前だった。食べても太らないことや、自分の体調に異常を感じ、死を予感していたのか・・。

迷惑なんかじゃないし、おいらみたいなのを、最初から最後まで、これほどまでに、ずっと好きでいてくれた唯一の存在。

こちらこそ、ありがとうだよ。

2018年2月14日水曜日

02/14 死別 H29.2.11 ちーちゃんが倒れた日

こばわ。
夜分遅いですが、へのみちです。

死別編は、まだまだ続きます。

2017年2月10日(金)
「ちーちゃん(妻)」は、2県離れた実家に車を運転して里帰りし、泊まることなく帰宅。夜19時には、自宅に帰宅した旨のメールがあった。

おいらは、元々10日(金)に職場の課の歓迎会、11日(土)に大学の卒業生が集まる飲み会が予定されていたが、兄の件もあり、11日(土)はキャンセル。11日(土)は、「ちーちゃん」と共に兄の病院に向かう予定だった。

2017年2月11日(土)10:00
自宅に帰宅。居間のコタツのいつもの位置で寝ている「ちーちゃん」に声をかけるが返事なし。寝ていると思い顔を覗くと、白目を剥いた状態で意識が無い。「ちーちゃん!おい、どうしたっ!!」と声かけするも反応しない。
すぐに119番通報。呼吸は止まっていない。救急車で自宅に近い病院へ搬送。栄養剤の点滴等を行う。

血糖値11、アンモニア300、目を開き眼球が動くも見ていない。意識戻らず。

ちーちゃんのご両親、自分の両親、職場の上司に連絡。

ここから長い一日が始まった。

ちーちゃんとは13年前に知り合い、当時も痩せていたが活発な子だった。知り合ってから半年後に結婚。アパートで2人暮らしを始め、結婚式の準備もしていたが、その年の夏にバイト先で倒れた。これが1回目。
体重は24kg。救急車の車内で意識は戻り、当時は過労と考えられた。

入院のお見舞いの際、ちーちゃんは「離婚されるかと思った」と言い、涙を流していた。おいらは「こんなことで離婚なんかしないよ。」と伝えた。

その後は徐々に回復し、結婚生活は再スタート。旅行やカヤック、週末のドライブなど、常に夫婦2人で行動する日々を過ごす。

おいらの仕事が忙しくなり、引っ越しも重なった5年前。自宅で朝痙攣発作。意識が無く、再度、救急搬送。搬送先の病院でその日の内に意識回復。
ここで病名が「摂食障害」と判明。「摂食障害」とは心の病であり、拒食や過食嘔吐などの異常行動を起こし、致死率も高い病気。幼少期の母親との関係性が原因になることもあるという。

また、この入院の際、卵巣腫瘍も見つかり、左右の卵巣を摘出。子供が出来ない身体となった。ちーちゃんは、そのことにショックを受けていたが、おいら的には、「子供と結婚したのではない」と言い聞かせた。

2回目の入院時、肝臓の数値が非常に高く、骨粗鬆症など身体へのダメージも大きく、3回目があったら死ぬ可能性が高いと考えられた。

摂食障害に対しては、精神科医、臨床心理士などによる治療、カウンセリングを行い、最終的には「完治」との診断書を得た。

2回目の入院後、徐々に体力は回復し、ウォーキングから始まり、低山の登山、ドライブ、外食、旅行、キャンプ、野草探しなど、様々な趣味を見つけては実践した。
昨年は股関節のスジを痛めて、歩行が難しくなったため、車でのダム巡りなどが中心になった。

あれほど、楽しかった、これらの趣味、楽しみは、不思議なほど、今は全く興味が失くなってしまった。

2人で思い出を作るのが楽しかったのだ。
1人で同じことをしても仕方がない。
1人でやる意欲が全く沸いてこない。
思い出があり過ぎて、思い出すと涙が止まらなくなるので、敢えて思い出さないように意識を他に向ける努力をしなければならない。

これらは死別反応と言うらしい。

さて、昼頃まで病院で待ったが意識が戻ったという連絡はない。救急搬送先の病院から、説明があり、ICUに入るため、別の病院に搬送するとのこと。
次に搬送される病院は、過去2回、倒れた時に診てもらった、地域でも信頼性の高い病院だ。

13:15   
 病院着。ICUへ。
15:00頃? 
 ちーちゃんのご両親来院。
 自分の両親は兄の件があり来れない状態。
 →来なくて良いと伝えた。
19:00   
 医師から病状の説明。
 肝臓値が4桁。肝不全になると助からない。
 低血糖の状態が続いた影響で脳にダメージあり。
(低血糖の脳障害は回復しないことが多く、この
 まま意識が戻らない可能性は高い)
 MRIの結果、側頭葉の海馬が白くなっている(低血糖に弱 
 い部分)。
 今、動いている手や眼球の動きは、随意ではない。

 過去2回は意識が早く戻ったが、今回は戻らない。
 このまま意識が戻らないのでは?
 もう2度と会話もできないのだという絶望感に支配され

22:30
 ちーちゃんのご両親と自宅に向かい、明日からの入院の準備(服、歯ブラシ、入院時の持ち物に名前を書くサインペンなどを揃える)。
 ちーちゃんが倒れていたコタツを見ると、嘔吐物がコップ内にあり、嘔吐に使用した可能性のあるアイスの木製スプーンが見つかった。
 ちーちゃんのご両親の宿泊施設の手配。

1日目が終了した。

2018年2月13日火曜日

02/13 死別 H29.2.8 実兄の死

こばわー。
へのみちです。

今日は、前から行きたくて行けなかったお店に昼食に行けました。
お店は茨城県筑西市にある「荒為」さん。
古民家風で落ち着いた雰囲気で、お料理も美味しかったです^^

写真のメニューは、2030円で、お茶、コーヒー、デザートがさらに付きます。

仕事を終え、帰宅。


さて、ここからは昨日の続きになるのか。

実は、この死別編。
去年の3月頃に、記録として書き連ねておいたものを、ここにきて初めて公開している。
なので、今の心境というよりは、死別の災厄から約1か月後の心境をそのまま記載している形です。

今日は、兄の件。

2017年2月8日(水)、実兄(48歳)が倒れたとの連絡が実家からあった。

兄は国立の超難関大学を卒業し、大企業に就職。
海外の支社を飛び回り、同期入社した中でもトップクラスの出世を遂げ、会社の信頼も厚かった。

お互い社会人になってからは、殆ど会う機会も無かったが、子供時代から、おいらがとても敵わないほどの優秀さであった。

その兄が、家族の誰にも言わなかったが、10年位前から重症筋無力症という難病指定にもなっている病気を患っていたらしい(会社の人には話していた)。

この病気は、自己免疫疾患であり、50代位から発症のピークがあるらしい。瞼が下がり、車の運転が難しくなり、疲れやすく、重度になれば呼吸不全にもなる。家族に心配をかけまいと黙っていたのであろうか。

兄は独身で、ローンも払い終わった都内のマンションに1人暮らし。心臓もしくは呼吸に異常を感じ、自分で救急車を呼び、玄関の鍵を開けたものの、オートロックのマンションが災いし、救急隊員がマンションの中に入れず、心停止から蘇生まで40分が経過した。心肺停止から3分もすると脳死の可能性が高いらしいから、40分は絶望的な時間らしい。

結局、意識は最後まで戻らず、植物状態が続くこととなるが、遺書などは残されておらず、医師からは延命治療について判断を求められることとなる。

本人への確認が出来ないが、会社の人に延命を望んでいないと伝えていたこと、本人の性格上、回復の見込みが無ければ延命は望まないだろうと思われたことなどから、家族の最終的な判断は、回復の見込みが無いのであれば、ただ身体だけを生かしておく延命は望まない、という結論に達した。

兄の住まいには、友人関係を知るメモなどは残されておらず、会社一筋であったことが窺えた。一人暮らしのため、通帳の暗証番号やパソコンのID・PASSなども不明。資産状況の全貌なども不明。

兄の死は、以下の教訓を残した。
①一人暮らしで管理人のいないオートロックマンションは危険(何かあった時、救急車が入れない)。
②暗証番号やID・PASS、連絡帳などは分かるようにしておいた方が良い。
③いくら高学歴、高収入、優秀であっても、48歳の若さで死んでは元も子も無いではないかっ。

そして、家族の大黒柱であった実兄が亡くなったということは、愚鈍な次男であるおいらが長兄の役割を果たさねばならないということでもある。

2018年2月12日月曜日

02/12 死別

こばわー。
へのみちです。


今日は、テレビは、ほぼ平昌オリンピック一色。
なので、朝食後、DVDを借りて家で1人鑑賞会です。
タイトルは「ウォーターサーバー」。
おいらは、海や船、冒険が大好きなので、ぴったりな内容。
魚の革の服を来た主人公たちが、海面上昇で地球のほとんどが海になった中、船で生きながら冒険するというお話。

面白かったのは以下。
・船上で実のなる植物を育てる。
・土が大切な取引アイテムである。
・真水を得るため手作りのウォーターサーバーがある。
・服は原始的な魚革製。
・スパイ映画のようなギミック満載の船。

こんな楽しい時間(130分位)を、86円で楽しめた。

さらに、家でポイントをポチポチ。
無限バブルというゲームで全ばぶるクリアという偉業を達成した。

また、外出時は、常に「暗歩」、「絶」、「気配遮断」などを使い、相手に全く気付かれずに移動している。
敵に発見される可能性を減らせるからね。

さて、現実逃避してないで、そろそろ書かないと・・。

この内容は、読者の皆様に、多大なダメージを与えてしまう可能性がある。

というかおいらの、この無名のブログを読んでいる方がいるのだろうか?

おいら自身も読者と考えれば、読者1人。
同盟国に救援を要請したら、同盟国の使者が1人やってきて、「援軍オレ1人!」みたいな?

さて、始めよう。

2017年2月~3月の約1か月。
この1か月は、何が何だか分からない激動の1か月だった。
不幸が束になって襲い掛かってきた1か月。

・2月6日(月)
信号待ちの途中、後続車に追突される(10:0で相手側過失)
・2月8日(水)
実兄が倒れる→心肺停止→救急車で搬送→植物状態。
・2月11日(土)
自宅で妻が倒れる→救急車で搬送→意識不明。
・2月13日(月)
妻の意識が戻る→脳障害、肝障害→24日まで看病。
・2月24日(金)
妻の死去
・2月25日(土)
妻の葬儀を葬儀会社と打ち合わせ
・2月26日(日)
妻の通夜式→お別れ会(会の途中で実兄が危篤になり、こちら側の家族が兄の元へ)→実兄の死去
・2月27日(月)
妻の火葬
・3月1日(水)
実兄の葬儀を葬儀会社と打ち合わせ
・3月4日(土)
実兄の通夜式
・3月5日(日)
実兄の告別式

今考えても、異常としか言いようがない。
現実感が全く感じられない。

もっとも、今のおいら自身も、フワフワとしていて、生きてる実感に乏しいのだけれど。

まあ、こんなブログを書いているのだから、生きているのでしょう。

2017年1月までは、こんな状態になるとは思ってもみなかった。


人は、こうも簡単に死んでしまうものなのか。



そして、今まで、ペットを亡くしたり、知人や親戚の葬儀に出席したけれど、葬儀が終わって帰宅すれば、家には妻が居て、日常の生活にすぐに戻っていた。



同じ職場に、配偶者を亡くした人が居ても、悲しみの深さがどれほどか、全く想像できていなかった。

ストレスのランキングの指標というものがある。
配偶者の死は、ランキング1位。

親族の死は、ランキング2位。
1位と2位を独占している。

また、夫を亡くした妻よりも、妻を亡くした夫の方がダメージはより大きく、その後の死亡率も高いという。

突然、事故で急死した場合に比べると、少しだけ、心の準備をする時間はあった。

とはいえ、人が亡くなった時というのは、悲しみにひたる時間さえ、与えてはもらえない。

病院から、葬儀会社への遺体の搬送、葬儀の打ち合わせ、通夜、火葬。葬儀が終われば、医療費の支払い、葬儀代の支払い、役所等への諸手続き、相続の手続き、遺品整理、墓の手配、49日の準備など。

毎日、病院に寝泊まりして、身体も精神も疲れ切っている。
追突された車の事後処理もしなければならない。
自分と妻の車2台、携帯2個となり、これらも1人分は売却する。

その間も仕事はこれまでと同じく続けなければならない。

仕事は平日で、役所への手続きなどは今まで妻にお願いしていた。掃除、洗濯などの家事も専業主婦の妻にお願いしていた。

その妻がいないのだから、どうしようもない。
家計がどうなっているのか、家のどこに何があるのか、これらを全て把握することに努める。

色々な手続きなどが全て終わったのは、半年位してからだろうか。

家に帰ると、真っ暗な部屋。

出勤時は、「行ってきます」に対する「いってらっしゃい」とハグしてのキス。

帰宅時は「ただいま~」に対して「お帰りなさ~い」というやりとりがあった。

遺品の整理をしていると、色々な記憶が刺激されて、その都度、手が止まってしまう。

出勤時の車の中では、妻のことを回想し、涙がとめどなく流れてくる。恐らく涙腺が決壊しているのだろう。

亡くなった人は、残された人の記憶では、美化されていくという。確かに良い思い出ばかりが鮮明に残っている。

悲しみから逃れるには、思い出さないようにすれば良い。
仕事中は、仕事に集中して、悲しみから逃れられる。

しかしながら、悲しみから逃れているということは、亡き妻のことを考えないようにしているだけなのだ。

妻が亡くなってから、妻からおいらには何のアプローチも無い。触れ合うことも、声を聞くことも出来無いのだから。

妻の声がどんなであったか、仕草や態度がどんなであったか。忘れるはずもないが、忘れてしまわないか?という不安がある。

なので、常に思い出し、記憶を保ち続けようとしている。

悲しみから立ち直る、というのは、妻を忘れることなのだろう。立ち直るのが良いのか、立ち直らないのが良いのか。

妻を忘れずに、それでも立ち直る、というのがベストなのだが・・。

おいらがもし、痴呆や記憶喪失になって記憶が失われたとしても、電子データとしてブログに残しておけば、この世界に残しておくことができるだろう。
なので、残しておこうと思う。

明日からは、2017年2月~3月の出来事を記録していく。