こばわー^^
へのみちです。
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今、西日本で被害が出ている豪雨災害。
死者は、12府県で145人にものぼり、今後もこの数は増えると予想されています。
この豪雨災害について、特にブログに書くことも無いな、と思っていましたが、昨日、こんな記事を見つけてしまいました。
ざっと要約するとこんな記事でした。
ある会社員の男性(54)は6月に妻と再婚した。
広島の家には、妻(44)、長男(13)、次男(2)、義母(71)が居て、男性は仕事先の島根から広島へ戻った。
男性が戻った時には、家は豪雨による土砂崩れの後で、妻は遺体で発見され、子供や義母はまだ見つかっていない。
という内容。
このやるせない記事。痛ましいとしか言いようがない。
同じ妻を亡くした者として、今後のこの男性の行く末が案じられます。
こういう記事を見ると、どうしても、自身と比較してしまう。
・結婚したばかりということなので、妻や家族との思い出の期間は、おいらよりも少なかったんじゃないか。
・失った家族は、おいらよりも多く、その分、悲しみの量は多いんじゃないか。
・おいらは、記憶の大半を失いながらもおいらを認識してくれた妻と最後に話が出来たが、この方は最後に妻と話をする機会も無かった。
・家も被災しており、自身の今後の生活の目途も立たないんじゃないか。
・悲しみに暮れる余裕もなく、行方が分からない残りの家族を探す、葬儀、家のことや遺品整理、相続問題、自身の仕事も続けなくちゃいけない、など、これからやることは非情に多い。
おいらよりも、明らかに、大変な状況です。
しかし、ある程度の共感は出来ても、実感する事は出来ない。冷たいとか温かいとか、そういう次元ではないのです。
人は、生きている中で個々の事情が違いすぎますし、自分の体験は自分しか分かりえないと思うからです。
こういう記事を目にしたとき「痛ましい」とその時は思いますが、恐らく明日以降になれば、この記事のことなど、思い起こすことは無くなると思います。
これは、おいら、葬式の時に感じました。
葬式の時、親戚や知人が訪れて悲しみに暮れますが、葬式が終わればそれぞれの家庭、生活に戻っていきます。
そして、1周忌とか節目の時期になると、そろそろ1年になるのか、とか思うかもしれません。
ところが、配偶者を亡くした当人は、妻のいない家に戻り、悲しみの状態からずっと逃れることは出来ないのです。
1周忌とかって何なの?って思います。
こっちにとっては1日忌、2日忌といった感じなのです。
昨年、北朝鮮の弾道ミサイルが何度か発射され、おいらの住んでいた茨城県では朝の通勤時間に「Jアラート」が鳴り響きました。
この「Jアラート」は今でも携帯に残してあります。
8月と9月。
内容はこんな感じでした。
この時の感じは今でも覚えています。
ちょうど車で通勤途中。
大変な事になったと思いました。
もし核弾頭が装着されていたら、直撃しなくても放射能の影響を受けるでしょう。放射能の影響を少なくするには距離を取らないといけませんが、対象地域になっていることが分かるだけで、いつ、どこに落ちるか分からない。
茨城なんかより東京を狙うだろうから、東京から離れた北の方角にある職場にこのまま向かうのが正解か?いや、でも精度が良くないんじゃないか?遮蔽物でも見つけて隠れた方がいいのか?発射から着弾までの時間なんてものの数分なんだからジタバタしたって意味がないんじゃないのか?
結局、何もやりようがないので、遅刻するよりは、とそのまま職場に向かい、車を走らせました(周りの車もそうでした)。
8月のメールは12分後に、9月のメールは5分後に、ミサイルが上空を通過したとのメールがありました。
多分、「Jアラート」の対象地域だった方は、同じような思いをして肝を冷やしたんじゃないでしょうか。
でも、「Jアラート」が来なかった地域の方は、「北朝鮮がミサイルを発射し海に落ちた」という結果を後で知って、ここまでの実感は無かったんじゃないでしょうか。
実感できるようにしないといけない、ということではないのです。知らない人の葬式に行っても、何の実感も沸かないのは仕方の無いことなのです。
妻の好きだった本に、「ずーっと ずっと だいすきだよ」という絵本がありました。
犬を飼っていた子供が成長し、犬の方が先に亡くなります。
この子は、犬に大好きだと常に言っていて、犬が死んでも後悔はしませんでした。
この子のセリフです。
「好きなら、好きと言ってやればよかったのに。だれも、言ってやらなかった。言わなくっても、わかると思ってたんだね。」
この世界、何がいつ、どうなるかわかりません。
もし、大切な人が近くにいるなら、日頃から「好きだよ」と伝えておくのも良いのかもしれませんね^^
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